2007年 06月 01日
ともに生きる |
「GA ARCHITECT19 KENGO KUMA」
そこに書かれている「弱い建築」という論文より。
堅牢で守ってくれるものではなく「ともに生きる」ものとしての建築。
実際には「強い」素材を弱いものとして扱い表現したり、逆に「弱い」素材で建築を構成するという「弱い建築」。
前例は石をルーバー(≒ブラインド)化したり開口部にガラス代わりに嵌めたり。
後例は木の屋根や和紙やビニール、日干レンガの外壁など。
弱さとはバランス、と言いそれは努力によって支えられているとも。
東京のレストラン「分とく山」では普通は外壁として使う成形セメント板をルーバー材として使っています。(「強」の「弱」化)
これは6cmの厚さで内部に空洞のある素材です。
その孔は素材の軽量化のためのものなのですが、板を倒してルーバー化することで機能上の孔が装飾としての意味を持つことに。
無数の孔が外部に露出されることによって、ゴミ等もそこにたまりやすく掃除が大変そうですが、それを受け入れることも「ともに生きる」ということなのでしょう。
デザインへのアプローチ方法は本当にいろいろある。
強く安全に見せた「偽装」が各分野で毎日のように明らかになる昨今、この考えは示唆に富んでいる。
そこに書かれている「弱い建築」という論文より。
堅牢で守ってくれるものではなく「ともに生きる」ものとしての建築。
実際には「強い」素材を弱いものとして扱い表現したり、逆に「弱い」素材で建築を構成するという「弱い建築」。
前例は石をルーバー(≒ブラインド)化したり開口部にガラス代わりに嵌めたり。
後例は木の屋根や和紙やビニール、日干レンガの外壁など。
弱さとはバランス、と言いそれは努力によって支えられているとも。
東京のレストラン「分とく山」では普通は外壁として使う成形セメント板をルーバー材として使っています。(「強」の「弱」化)
これは6cmの厚さで内部に空洞のある素材です。
その孔は素材の軽量化のためのものなのですが、板を倒してルーバー化することで機能上の孔が装飾としての意味を持つことに。
無数の孔が外部に露出されることによって、ゴミ等もそこにたまりやすく掃除が大変そうですが、それを受け入れることも「ともに生きる」ということなのでしょう。
デザインへのアプローチ方法は本当にいろいろある。
強く安全に見せた「偽装」が各分野で毎日のように明らかになる昨今、この考えは示唆に富んでいる。
by maguchitoshiro
| 2007-06-01 12:45
| 建築